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百鬼 羽音 先生のメッセージ

はじめまして。
TMD認定講師の百鬼 羽音(ももき うた) です。

「わたしは聞き上手」
このTMDの傾聴講座を受講するまでそう思っていましたが・・
私は「傾聴のケの字も知らなかった…」のだと驚愕する結果となりました。

よくよく考えてたら…
世間話や社交辞令が苦手で、自分から積極的に人に関わることから
逃げ、聴き役に徹していただけでした。

受け身のほうが人とぶつかることもなく、相手に嫌われることはない。
楽しそうにしていれば、周囲の人から孤独で可哀そうな人に見られることもない。
そう思っていたのです。

変わり者だと知られないように。
悪目立ちしないように。
嫌われて不利な立場に追い込まれないように。

誰にも理解されない「本当の自分」を抱えながら、それをひた隠しにして
「普通の」「いい人」を装って生きていくしかないと思っていました。

だけど、表面的な「いい人」は他の人から見たら「どうでもいい人」です。
いいように扱われ、いつも貧乏くじを引く。尽くしても裏切られる。

どんなに隠そうとしても、滲み出てきてしまう「本来の自分」がいる。
「いい人」でいることに疲れては人間関係を自分から絶つ。
そんな破壊的な自分もいました。

【人間不信と自己否定に拍車がかかり、厭世的になる】

その場を何とかやり過ごすだけの上っ面の処世術では、根本解決しないどころか
問題はさらに深刻化し、さらに負のループから出ることすらできなくなっていました。

多かれ少なかれ、
本当の自分(内的自己)と社会に向けた建前の自分(外的自己)との間で
葛藤を抱え、張り裂けそうな思いを抱えている方は多いのではないでしょうか。

ここまで読んでくださったあなたに
私がどうしてそのような葛藤に苦しむようになったのか、
そこからどうやって抜け出したのか、上っ面の処世術と真の傾聴はどう違うのか、
もう少しお話させてください。

【機械の心がほしかった子ども時代】

私は幼いころ『人魚姫』の絵本を片時も離さず、繰り返しページをめくっては眺めていたのを覚えています。わたしにとって人魚姫は羨望の的でした。

羨ましかったのは、きれいな顔でも下半身が魚という特殊な構造でもありません。
泡となって消えてしまえることが羨ましかったのです。

『銀河鉄道999』の主人公、星野鉄郎は「機械の身体」を手に入れるために旅をしますが、
わたしはむしろ「機械の心」がほしいと思っていました。
感情なんかなければ、どれだけ楽だろうと思っていたからです。

私は物心ついた頃から父親から暴力を受け、周りの大人たちからも外見や人格を否定されて育ちました。

発達障害の父親の「何が暴力のトリガーになるのか?」「NGワードは何か?どうすれば暴力を振るわれずに済むのか?」という法則がまったく理解できず、なす術もなくただただ、息を殺し、存在を消すようにして生きていました。

その苦しさから、わたしは存在を消してしまいたい、それができないなら心を消してしまいたいと切望していたのです。

やがて言葉を発することも怖くなり、人と話すこともできず、普通の子ども時代、青春時代がありませんでした。

ひとりでは抱えきれない心の負荷により、さまざまな寄行を繰り返していましたが、身体も炎症を起こし病院の検査でも数値の異常として現れるほどでした。

私が抱えている問題を理解しようともしない家族に対しても恨みつらみが募っていきました。

「このままここにいたらダメになる」

一大決心をして親元から離れ、家出同然で単身上京。
実家でフリーターとニートを繰り返していた私にとって、都会の荒波の中でひとり揉まれ、自活していくことはとても大変なことでした。
仕事もプライベートもうまくいかず、空回りや堂々巡りが続き、焦燥感、虚無感が募っていきました。

 

【孤独な闘い、陰陽の逆転】

「親からも愛されなかった私が、誰かに必要とされるわけがない」

親元を離れてもなお、呪いのような信念が邪魔をして素直になれず、人間関係にも積極的になれません。
もう暴力をふるったり、罵声を浴びせたりする人もいないのですから、これからは好きなことをして自由に生きていいはずです。
それなのに、やりたいことの最初の一歩すら踏み出せないまま時間が過ぎていきます。

こんな自分を変えたい一心で、自己啓発や心理学、スピリチュアルの本を読み耽り、セミナーにも数多く通ったものの、抽象的で光の側面にしかフォーカスしないスピリチュアルは掴みどころがなく、他の参加者を見ても、幸せそうなひとはいません。
「恵まれた人による、恵まれた人のためのコーチング」は私にとっては箸にも棒にも掛からぬもので、怒りに近い違和感を感じました。

消えない孤独感、虚無感、焦燥感から過食と拒食、破壊的な恋愛パターン、買い物依存、鬱を経て…
ついに30代で癌告知、余命宣告。
「陰極まって陽となす」臨界点だったのかもしれません。

「生きたいの?それとも死にたいの?いい加減はっきり決めて!」

本当の自分と向き合い、受け入れることを避けてきた私に
しびれを切らした神様に問いかけられているように感じました。
余命宣告という崖っぷちに立たされてはじめて、病院の医師や看護師さん、会社の上司や同僚…
親身になって支えようとしてくれる人がこんなにいたことに驚き、その優しさが胸に沁みました。

きっと今までもこうして手を差し伸べようとしてくれた人たちがいたのに、心を閉ざして好意を踏みにじり、人生の暗い側面ばかりを凝視してきた自分に直面しました。
長い闘病生活が始まり、自己と向き合わざるを得なくなった結果、これまで膨大な時間とエネルギーを無駄にしてきたのは「私自身だったのだ」と氣がついたのです。

【このまま人生を終わらせてはいけない】

自分には何が欠落していて、何が過剰なんだろう?
どう生きるべきだったのだろう?
残された時間で人生を振り返り、自分なりに納得したかったのです。

人はどうして病気になるのか、どうしたら健康になれるのか知りたくて
心と身体と魂の関連性を知りたくて、ホメオパシーやアーユルヴェーダ、東洋医学などのホリスティック医療について調べ、学ぶようになりました。

そうだったんだ!と腑に落ちる知識を得て次第に「立ち直って、助ける側にまわれる人間になりたい。」という気持ちが自然と溢れてきたのです。
芽生えた氣持ちが夜空に瞬く北極星のごとく、私を生きるほうへ導いてくれました。

身体は食べ物からできていて、心にも作用している。
その事実を知り、いろいろ試した食養生を通して「自分を大切にする」という意味を理解していきました。

【受け身の知識や療法ではなく本当に必要なもの】

そういった変化のおかげでしょうか、病の再発もなく念願のホリスティック業界に就職しましたが
それでも私は「対人関係」に自信が持てずにいました。

相変わらず同じようなパターンの恋愛関係にハマり、苦手な人との関わりに悩み、誤解され恨まれても、解決する術を知りませんでした。

根深い生きづらさは、わかったつもりの一時的な自己肯定では解消しませんし、
食養生や療法で身体と心を整えたからといって、それだけで問題解決とはなりません。

よく言われているように、地球は「行動の星」です。
今までとは違う行動をしなければ、現実を大きく変えることはできないのです。

「これは今までにない先鋭的な療法だ」「すごいものを見つけた!」と胸躍ったホリスティック療法の世界にも残念ながら、心の闇を抱えたまま、周囲の人を支配したり、傷づけたりするような人も少なからず存在していました。

私はその現実に失望し、その療法自体を疑ってしまう氣持ちにまでなりましたが、今思えば、その療法が万能であるという幻想を抱き、過度な期待をした自分が未熟だったのだと思います。

レベルの癒しや覚醒には内発的な強い力が必要で、「これさえあれば」と外側の何かに頼った状態では起こりえないのかもしれません。

スピリチュアルな教えもそうです。それ自体が間違っているわけではなく、その感覚を疑似ではなく、深いところで体感・理解するための行動に結びつけられなかっただけ。
行動を積み重ね、深く内観し、意識レベルを上げていかないと恩恵を受けられない領域があるのだと思います。

【現実的なコミュニケーションスキルがすべての土台になる】

受け身の知識や食養生、療法に頼るだけでは足りなかったもの。
それは能動的に「直視したくない自分」に向き合うこと、現実的なコミュニケーションの知識、練習でした。

機能不全家族で育ったがために、相手と自分、両方の心を大切にし、信頼感を深めていくような人との関わり方、聴き方、話し方を知らなかったのです。

TMDの傾聴講座では傾聴の技術だけではなく、心の仕組みや過去を紐解き、「今まで行動できなかった理由」を知ることができます。

今の自分が手を伸ばしても届かない崇高な思想ではなく、日常の中で具体的に使える「しあわせに生きるための在り方、根本的原理」を知ることができます。

文字を追ったり、理論を説明されただけでは理解できない実践方法を、実際の症例を通して一緒に練習をすることで腑に落とし、血肉化することができます。

【足りなかったのはこれだ!】

この傾聴講座と出会ったとき、心の底から求めていた、欠けたパズルのピースをやっと見つけたという確信がありました。

「なんだそういうことだったのか!」と目から鱗が落ちるような視点と講座の面白さに引き込まれ、氣がつくと、最上位講座まで修了している自分がいました。

これは傾聴やカウンセリングを仕事にする・しないに関わらず、どなたにも必要なスキルだと思います。
個人的には義務教育に組み込むべきだとすら思っています。
なぜなら、人の悩みのほとんどが「人間関係」にあると言われているからです。

「繋がる傾聴俯瞰講座」は、初心者の方でも楽しみながら学べる講座ですが、巷の傾聴とは一線を画す「カウンセリング業界の全体像が分かる」プロ向け講座でもあります。

連綿と続いている家系のしがらみ、世代間で繰り返される因果までをも俯瞰する、他にはない講座です。
この傾聴スキルを多くの人が身につけることができれば、それだけで世界は変わるはずなのです。

「コミュニケーション力を上げる=外交的になれ」という意味ではありません。
繊細で内向的な方ほど、自分を守るためのコミュニケーション術が必要です。
それを理解し、自立・自律できるようになって初めて立てる境地、見える景色があります。

そして、TMDの講座の内容は本当に現実を変えるための「地に足のついたスピリチュアル」でもあります。
顕在意識と潜在意識の使い方、あの世とこの世の法則を、統合的に学びたい方には上位講座に進まれることもお薦めいたします。
わたしはここで傾聴とカウンセリング心理学を学んだことで、これまでの体験や学びの数々を結び、生きた智慧に変えることができたと感じています。

【来世にも次世代にも繋いでいける大切なもの】

もっと早くこの講座に出会えていたら、命に関わるほどの「陰極まった」崖っぷちに立たなくて済んだかもしれない…
そう思ったこともありますが、今ではあの経験も必然だったのだと思っています。

どんなタイミングであっても、年齢がいくつでも手遅れということはありません。
時間を巻き戻すことはできなくても、今だからこそ向き合うべき課題があり、
向き合った分だけ昇華できます。それは魂レベルでの宝となります。
わたしは未成仏な感情を残さず、地球をきれいに旅立つことを目標にして学び続けています。

講師やサポーター、受講生の仲間たちの共感と理解を得ながら、ひとりでは向き合えなかった自分の深い部分にも向き合い、整理が進むことで乗り越えられることがたくさんあります。

TMDで傾聴を学んで、まったく自己受容が進まず、生きづらさが軽減しなかった方はひとりもいないのではないでしょうか。受講生の皆さんが、講座開始の時とは別人のように明るく晴れやかな笑顔で卒業される姿にいつも喜びで胸が熱くなります。

1対1のカウンセリングと比べても、仲間と共に学ぶ講座は氣づきや学びが何倍も得られるため、一番のお勧めですが、大勢の前で話すことが不得手な方、他の方の足を引っ張ってしまうのではと心配な方はカウンセリングを挟みながら、マンツーマンレッスンでゆっくり学ぶという方法もあります。
あなたも人生を変えるための第一歩、ここで始めてみませんか。

今ではカウンセラー、講師をさせていただいているわたしもかなりの闇持ち、陰キャの極みでした。
どんなに深いお悩みにも善悪優劣のジャッジなく寄り添います。

【だれでも最初は入門者、心配はいりません】

「学んでみたいけど、決意が揺らぐ」「学びについていけるかどうか心配」と迷われている方も
「受け入れてもらえるのか心配」「まずはカウンセリングを受けてみたい」という方も
遠慮なくご相談ください。

「自分が変わることで現実を変えたい」「誰かをしあわせにするサポートがしたい」
そんなあなたの純粋で熱い思いを応援しています。

先の見えない世界情勢の中だからこそ、まずは私たち大人が、子どもたちに希望を与えるような生き方をしたいですよね。

このメッセンジャーが心に響いた方のご参加を心よりお待ちしております。

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