はじめまして! 宮沢 多笑 と申します。
「多く笑う」と書いて「たえ」という名で活動していますが、カウンセリングを学ぶ前の私は、笑うことが苦痛と感じたり、笑顔の作り方も忘れてしまっていた時期もありました。
夫婦関係に始まり、闘病・介護・看取りなどのライフイベントに見舞われ「とても笑顔でなどいられない!」その様な時期が人生の中で、突然やってくる事があるのです。
【生れ落ちてカウンセラーになるまで】
私は一人っ子で育ちました。ごく普通の両親から愛情を受け育ちましたが、今思えば「両親の希望する線路」の上を、何の疑問も感じず歩いていた気がします。
25歳で結婚し家を出ますが、世間知らずのわがまま娘は夫を父親と勘違いし「何もしてくれない」「不機嫌なのはあなたのせい」と、不機嫌さをどんどん加速させてしまいました。
お互いに「原因はあなたのせい」と言いあい、ほとんど会話することもなくなり、5歳の息子がいたものの「性格の不一致」という勝手な大人の事情で離婚に至り、実家に戻ることになりました。
その時、夫に「お前の母親は少しおかしいぞ!」と、捨て台詞を言われましたが、何のことか良くわかりませんでした。今思えば私の育った家系は「過干渉家族」であった事も分かるのです。
しかし、結婚で独立した娘の家庭にも干渉してくる母親に、なんの疑問も持てなかったのです。
カウンセリングを学んだ今だからこそ明確に家族文化の歪みが分かりますが、離婚と言う現象は当人たちどうしの問題だけではありません。そこを紐解いて調整してくれる実力のあるカウンセラーに合っていれば、もっと早く楽になっていたと思います。
【離婚・再婚・移住・死別という大きな変化】
その後、10歳の息子を引き連れ2度目の結婚。夫婦の希望で南国の沖縄に移住しました。
都会育ちの息子は真逆の生活環境と、新しい父親で苦悩しつつも踏ん張ってくれました。
しかし、息子の育て方などで言い争いをする夫婦を見て、私に「僕のせいでごめんね」という事も。
このままではいけないと、夫と息子を離すため一旦実家に戻り夫と話し合うも、解決の糸口は見つかりませんでした。そしてその間に夫は、新しい女性と出会い…有無を言わさず離婚となったのです。
その後、沖縄で出会った男性と3度目の結婚をしますが、6年後、夫に膵臓がんが見つかり2年半の闘病生活の後、息を引き取りました。
夫のがんが見つかる5カ月前に、私自身がクモ膜下出血で倒れ、入院・リハビリとなんとか日常を取り戻しつつあった所からの夫の闘病生活…そして看取りを経験しました。
正直、身体も心もヘトヘト…50代にして「ここからはもう余生、何考えたくない!」としばらくは放心状態の日々を過ごしました。
そんな時、あるご縁から青芭の櫻井先生の「繋がる傾聴俯瞰講座」に出会いました。
元々「人の話しと聴く」と言うことが好きだったこともあり「もっと学びたい!人のお役に立てるかも…」と積極的に生きる気持ちに火が付き、今も学び続けています。
またこの講座の中で自分の人生を俯瞰することを学び、色々なことに気づかされました。
私の人生は「大波」だなぁ~とどこか「人のせい」にしていましたが、俯瞰してみると…この大波は自分で選び、しかも自分自身で作り出していたんだ!と気づく事ができました。
若い頃は、余り人に相談することもせず、カウンセリングなども受けたこともなく、ただただ「誰かの作った大波」(勘違いでしたが…)を漂っていました。
もしその時に、この櫻井先生の講座と出会えていたなら、自分でオールを持ち大波を小波と捉えることができたのではないかと思います。
私と同じように自分ひとりで考え、大波をただただ漂い疲れ果てている方…重い荷物を抱えずっと降ろせずにいる方…まずは気軽に話してみませんか?
介護・看取り・夫婦関係など、あなたの心の疲労に本気で寄り添います。
気持ちと現実の両方が整理されると、どうにもならないと感じていた心に隙間が生まれます。あなたの胸の中に風が通り心が軽くなよう、そのお手伝いさせて下さい。
【介護・看取り・大きな人生の岐路でお悩みの方へ】
私は上記の過程の中で、37歳まで暮らしていた東京から沖縄に移住を決意しました。
生活・通信などが普通に整っている東京からの移住で、また島は人間関係もとても蜜のため、初めは戸惑いの日々でした。
そして後に3人目の夫が、主治医より2年もてば…と余命宣告を受けました。はじめはまだ頑張る体力もあり前向きに頑張っていたので、現実的に「余命」を意識することはできませんでした。
しかし抗がん剤治療の頻度が増すと、食欲も落ち、髪の毛も抜け出します。
それでも夫は弱音を吐くことはありませんでした。
寄り添う私も常にいつも通りと心がけていたのですが、だんだんと「余命」の現実感が増し「私がひとりになった時の将来」を考えなくてはならず、今置かれている状況とのギャップに苦しみました。またそれを考える自分にも嫌悪感を感じ…本当に逃げたかった…消えたかった…一番辛かったのはこの時期です。
その後「逃げたい」と一人の時に何度も声を出し、感じている自分を充分に味わうと、なんだこれも日常か…これも私の人生か…と思えてきて、逃げる気持ちはなくなりました。
夫は日に日に痩せてゆき、転ぶ回数も増えましたが、転んだ時はふたりで大笑いしたりと、できるだけいつも通りに日々を過ごし…逝く時はあっという間でした。「余命」という現実感に苦しみ抜きましたが、それを受け入れてからの日常はとても穏やかでした。
健康で体力もあると思っていた時の、自分自身の大病と夫の闘病生活…そして看取り。この数年間で死ぬこと・そして死ぬまではどうやって生きていくのか…など、「死」と向き合わざる得ない期間でした。
後からカウンセラーになり分かった事ですが、カウンセリングには「その過程を円滑に腑に落とすジャンルもあります。この様なジャンルを熟知しているカウンセラーに出会っていたならば、自分を苦しめることなく夫にも向きあえたと思います。
もし私と同じような経験で苦しんでいる方がいましたら、私がお力になれると思います。
また、私は現在、高齢の実母と暮らしています。そして介護の仕事もしています。
デイサービスや訪問介護で日々お年寄りやそのお家族と関わりあっていますが、介護者としてはどうしてもお年寄り側からの目線での会話になってしまいます。
その為、生活を共にする家族の方が病んでいたり、人知れず心をすり減らし、気が付いた時には無気力で鬱病!という事も多いです。
つまり、ご家族の個別の事情や環境、介護状態になる前の複雑な親子関係など、なかなか人に話せないお気持を深くお聴きする時間がないのです。
私がカウンセラー養成で身に付けたシステムアプローチ・家族療法では、家族側のご事情も合わせてトータルでお話しを聴くので、家族全体にとっても心地よい解決策に辿り着けると感じています。
【支援する側にも人権があり幸せになる権利がある】
支援者側が、たえず我慢する・・それを当たり前にして心も体も病んでいく方が多いです。
私は皆様に、それを普通にして病んでほしくありません。
綺麗ごとだけでは済まされないお気持ち。
決して言う事の出来ない本音。
誤解されやすい複雑な出来事。
アナタの本音が決して社会的に良くないものであっても、それなりの経緯やご事情があるはずです。
その様な、離婚や転職、介護や看取り、その後にやってく人生の大きな岐路。
全てを断捨離捨して、新たな人生をスタートさせたいと考える方も多いです。
これまでの生活スタイルや、人間関係が丸ごと変ってしまう事も少なくありません。
そんな時は、小さな解決ではなく、大きな視点で総合的に俯瞰的に考えて見る事が必要です。
これらの経験をした私が「現実的な対処と感情的な対応」の両面からお話をお聴きします。
ぜひお気軽にお問合せ下さい。