はじめまして、山﨑みえ といいます。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。私自身も、もともとは「自分自身に価値を見出させず」傾聴やカウンセリングを受ける立場でした。
そんな私が、どうやって「支配されるような人間関係から抜け出し」いきいきと生活が出来るまでに至ったのか?
もし私と似たような境遇や人間関係で悩んでいる方がいましたら、私の歩んできた回復の道のりがお役に立てるかもしれません。
まずは傾聴やカウンセリングにどうやって足を踏み入れたのか、そのきっかけからお話させていただければと思います。
【自分の価値を誰かに求める学生時代】
私自身のことを少し語らせていただきますね。
私は幼少期から、自然と兄や従兄弟はライバルで、私の価値を家族と祖父母に示さなければならない、そう考えていました。学校の成績、どの高校、どの大学に行くのかが母にとっては大切なのだとも日々の言動から感じていました。
また、隣の家に住む祖母からは、明らかに比較されていました。両親もその雰囲気が当たり前のようになっていて、普段の会話の中で「母は料理も下手で行動が遅く、何も出来ない人」、「兄も要領が悪くて成績も良くない人」というレッテルをはられていました。私もそれが当たり前になっており、「兄は祖母に疎まれているけれど、私は要領よく愛想よく、成績も良い子でないといけない、祖父母(年上の人)には良い子にして上手く振る舞うものだ」と、自然に考えるようになっていました。
「何かに秀でていなければ認めてもらえない、私の価値は低くなる」
これが常に頭の中にあったと思います。
そして毎日学校に行けば、自分には価値が無いかのように辛辣な言葉をなげかけられ、私は全てにイエスと言わなければ無視をされ、仲間外れにされて、聞こえるように悪口が始まる。学校が終われば、好き放題に言われて私物を壊され、まつ毛を切られたりしていじめられる。
だからこそ、周りの機嫌を損ねないようにと、いつも顔色を伺ってビクビクする毎日の繰り返しでした。学校では「面白い話が出来る人、可愛い人に価値がある」。そう思っていました。何か言われる、いじめられるたびに、心は重くなり、息が上手くできない。鎖を付けられた感覚で、自分には何の拒否権もない下僕のようでした。夜、眠りにつく時、「明日がくるのが怖い」といつも思っていました。
そして面白い話が出来ない、顔が可愛くもない私には価値はない。だからどんなに嫌な事を言われてもヘラヘラ笑って誤魔化すしか私に手段はなく、自分から「嫌だ、やめて」とも言えませんでした。そうしないと、更にイジメられ、貶められ、なじられるからです。そうして人の頼みを断れない、お願いする事も出来ない、人に拒否される事を極端に恐れる八方美人な自分が出来上がっていきました。
この事が原因で、就職後も「誰の頼みも断れない・相談やお願いをする事も嫌われる事が怖くてできない・怒られることが怖い(拒否されている感覚に陥って思考停止…)」という、仕事をする上で致命的な状況にまで追い込まれたのです。そんな時に出逢ったのが傾聴カウンセリングでした。
温かい眼差しで迎えてくれる傾聴者の方と話をするにつれて心が軽くなり、次第に世界が色付いてキラキラして見えたのを、今でも覚えています。それからは自分の事を少し俯瞰的に見られるようになり、上司やお客様との会話も以前よりスムーズになりました。過去の経験からくる恐怖や怯えが無くなっていくと、その感情に邪魔されずに相手が今、何を求めて話しているのかが分かるようになったのです。
しかし、根本的に根付いた自分の「価値を求める」考え方は、完全には消し去ることはできず、頭や心、体に染み付いたままでした。自動的に日常の様々な場面で、価値があるかどうかを頭で考えてしまう癖には、まだ気づいていない状態でした。そして結婚や出産、不妊治療に子育て、DV・モラルハラスメントな義父とのいざこざ、義母との同居と、どんどんライフステージが変化していきます。
「子育ての中で孤独を感じても、自分は周りから見てちゃんとした子育てをしていないといけない。家事も育児も完璧な妻・ママじゃないと」
「ママ達との会話の中で、あのママを不機嫌にさせていないだろうか(1人反省会…)」
「子供ができない。毎回期待しては打ち砕かれる。何年もずっとそう。もう無理…」
「人生はままならない」
「同居している義母はこちらに頼ってばかり。なのに私の家事や子育てに口出ししてくるのが我慢ならない!同じ空間に居るだけで気持ち悪い」
20代の頃に傾聴カウンセリングに出逢い、大きく成長できた面はあるものの、ライフステージが変化していくに従って、自分の心は色んな事に振り回されたまま。根本的な解決に至っていない事に気付き始めました。
それから必死に解決方法を模索して、青芭の櫻井先生のもとへ辿り着きました。青芭の傾聴カウンセラー講座を受講し、40歳を目前にして、やっと自分や他人の価値を私が比較して決めつけたり、誰かが比較して私に価値があるか決められる必要もないのだ、と心から納得し、解放されていきました。本当は私たち1人1人に価値があるか無いかを考えて比較しても何の意味も無く、私は等身大の自分を受け入れて、その自分でいいんだ、それでいいんだ、と認めて大切にしてあげる事が、本当に意味のある事だと思えました。
櫻井先生の主催する「繋がる傾聴俯瞰講座」「プロフェッショナル講座」等を受講していくにつれ、カウンセラーとしての成長や技術の向上もありましたが、それ以上に「人としての在り方」や「自己の受容」、「嘘偽りない自己一致した自分」である事の大切さを教えていただいたのです。
私たちは、日々いろんな比較に晒され、優劣を決めるような社会の中に生きています。それでも、頑張って生きてきた自分の存在を愛おしく大切にできたら、後悔なく「これで良かった」と思えるのではないでしょうか。
【今、悩んでいる誰かの支えになれたら】
傾聴者になり、色んな人の人生や家系から流れてくる、自分では選べない環境での価値観形成などを知り、全ての人が自分とは全く違う家庭の育ち方や感じ方をしているという事を実感しました。そんな時、ふと過去に、私をいじめたり、急に仲間はずれにしたりする友人が、
「今日、父親に殴られた…」
と呟いた時の事を思い出しました。私は当時、気が強くて色んな人を迷惑のかかる方向へ巻き込んでいくその友人が、なぜそんな事を言ったのか全く理解できなかったのです。そして、私は
「そうなんだ…(何て言えばいいのかわからない沈黙)」
としか返事ができませんでした。その後、その友人は親の離婚が理由で高校を退学し、もう会うことはなくなりました。当時私は、もう虐められたりする事がなくなった為、ほっと胸を撫で下ろしたと同時に、何か少し後味が悪く、わだかまりのようなものがあるな、という気持ちしかありませんでした。
傾聴者になり当時のことを思い出してからは、私も辛かったけれど、その友人も家庭の事情で心が沢山傷ついていたのではないか、だからこそ、そのストレスを私はぶつけられていたのではないか…そう考えるようになりました。あの時、何も出来なかったかもしれないけれど、ビクビク怯えるのではなくて、まっすぐ向き合ってその子の話を聴けていたならば、彼女の心も少しは軽くなったかもしれなかったのに…。そんな後悔が今でも残っています。あの時私に出来なかった事を、より知識や技術を身につけ大人になった今、もう一度誰かの役に立つようなことがしたい、と思うようになりました。
【家族や友人、周囲の人に話せない気持ちを話してみませんか?】
家族には訳があって相談は出来ないし、友人にも深くは話せない、或いは共感してくれているようで、やっぱり相手目線のアドバイスだから何だか腑に落ちない。分かってもらえない…。
そんな心境になったことはありませんか?私自身もその経験があるからこそ、あなたの気持ちを大切に、そっと寄り添い続ける事ができます。
時には見つめる事さえ今は辛くて、もう全て投げ出したい、ここから逃げ出したい気持ちになる時もあるかもしれません。また、心に受けた傷やしこりは、一度楽になったと思っても、何かがきっかけでまたぶり返してくる時もあるでしょう。それでも一歩ずつ、時には後退や休憩をしながら、また一歩進んで…を一緒に繰り返していけるように。どんな心境の時も変わらずに一緒に、あなたの事について考えていきます。
見ず知らずの私に頼ったって良いんです!沢山泣いたって良いんです!
あなたがしっかりと立って、あなたらしく希望を持って歩んでいけるようにサポートいたします。
青芭では、自分と向き合うにつれて、自分の課題が明確になったり、整理していくことが出来るようにもなります。今までの自分の視点とは違う捉え方や考え方、感じ方を味わう方もいるでしょう。青芭では、一つの心理療法に縛られない多角的なアプローチ方法と、根気よく誠実に、あなたと向き合う準備があります。
青芭のカウンセラーなら、この人になら話せるかも…。そう感じたらお気軽にご相談ください。あなたの気持ちをしっかりと聴くカウンセリングがここにはあります。
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